時計の針とは少し違うけれど、確実にその " とき " を知らせるために、時を刻んでいる。
花期を終え、脱皮したかのように、空にむかって莢があらわれた。
それからずっと空をみながら何か少しずつ、納得し、知り、覚悟しながら、莢の先は自分の足元を見るの。
届かない空ではなくて、届かない空を見上げれる自分の足元を。
人も自分の " 全て " をちゃんと理解した時、収穫時期かもしれない。
それは、自分は他者の役に立てるという意味で。
空豆が教えてくれた。私の小さな畑で。この重大なことを教えてくれた空豆は、まもなく収穫時期で、私が収穫して料理するともう...空豆のいない明日と菜園。まだ他にも実はついているけれど。今までと収穫したあとは全然違う。それは私がかわるんだろう。
でも確実に私として一緒なの。ありがとう、空豆。一緒に生きるってこういうことだね。優しくてもかっこいい。だって君たちね、 VICTORINOX アミーナイフのよう。
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