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Showing posts from July, 2017

Eggplant.

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茄子を植えるのに品種を選んだんだけれど、私はほとんど野菜を加熱して料理する。 変わり種のDNAをいじったような品種は避けたくって、昔からの純粋な植物のままのような品種を選んだ。 焼き茄子にぴったりの長茄子。隣の米茄子よりも花のつきは遅いものの、確実に食べる分づつ成長してくれている。 植えた場所の土は米茄子のところと少し性質が違うような感じだった。同じ山の土だけれど、水はけの具合が違う感じ。品種が違うからか、土が違うからかは定かではないけれど、米茄子よりゆっくり。 本当にシンプルに焼いて食べるだけで、美味しい。茄子の味だけで、調味料をつけるのが勿体無く感じるから何もつけないで食べた。塩や醤油もいらない。焼くだけ。 茄子の花の紫と、実になった茄子の紫の関係は、宇宙の深い青と、空の優しい青と同じ見たい。 植えるときにインターネットで色々調べていたら、擦ってそんなに大きくなるの?と思った農家さんの動画があったけれど...私の茄子達もどうやらもっともっと大きくなりそう。 秋まで収穫するには根っこを切る作業があったことを私のノートにメモしてあるけれど...こんなに順調に鈴なりだから下手に触りたくないのもあるし、秋まで収穫したいっていう願いもある。またドキドキしてきた。根っこを切るのは8月上旬までの間に。 ドキドキドキドキ...

Organic Tomato.

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芽かきという切ない作業をして、脇芽とはいえ綺麗な葉なので、瓶にいけて飾っていたら、根っこがでてきた。植えたらどんどん成長して実までつけはじめ、その生命力が愛しく感じる毎日。

My Eggplant Bomb.

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どんなに眺めていても見飽きない風景は、私にとって菜園の風景だったようね。セブンティーンの後半から28のアメリカ入国拒否、強制送還になるまでは、あんなに NYの5 th Av. のスタジオタイプの部屋に暮らしたいと夢見ていたのに。自分とは思えない。 夜の街のネオンと音楽の中で生きて生きたいと思っていたのに。 茄子の葉っぱはトマトや人参みたいに、自身の匂いはしない。人参もトマトも葉っぱが彼ら自身の匂いをしている。茄子の葉っぱの形が大好き。棘があるのも気に入っている。色も素敵。 きっと茄子がまだ食べられる植物、野菜ってわかる前、この棘を隣の植物に引っ掛けて芽を伸ばしていったんじゃないかな。蔓のように。だから棘があるんじゃないのかなっ。 原種の白い茄子が、インドの暑いジャングルのようなところで、隣にの木々や草に棘を引っ掛け、どんどん伸びてぶら下がっているのを想像したら...なんの生き物が一番最初にこの実を食べ始めたんだろうっていう謎が浮かんだ。赤くないからきっと鳥は狙わなかった。 連鎖反応が起こりやがては別の場所で落ちた実から種が発芽して.... 野菜というカテゴリーに入る、植物だった時の茄子って...野生の茄子って.... 白い原種は神聖な食べ物として扱われたかもしれないね。 しかし、私の米茄子は絵に描いたような爆弾みたい。

My jewelry. Fennel drops.

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人参を収穫して、茄子を収穫して、バジルと紫蘇を収穫して、トマト収穫して... 収穫した野菜や果実を料理して...

ボッグセージ のヨーロッパの菜園で想い出す南米の湿地帯

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ボッグセージの美しき故郷は、 南米 ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの川辺や湿地帯。 庭のハーブとして有名なセージですけれど、 この子はね、ただのセージではございませんの。 その名は、ボッグセージ。 学名は『Salvia uliginosa(ウルギノーサ)』。 英語の「Bog(ボッグ)」とは、泥炭地や湿地という意味。 多くのセージが乾燥を好むなかで、ボッグセージは 川のほとりや湿り気のある温かい場所でみずみずしく育つ、 とても気高きセージなのです。 初夏の訪れとともに咲き始め、秋にかけて、 1m ほどまっすぐ伸びた細い茎の先に、 透き通るようなスカイブルーの花を次々と咲かせます。 風が吹くと、まるで青い蝶が湿原で舞っているかのように 優雅に揺れる姿が、ヨーロッパのガーデナーたちを虜にいたしました。 緑の葉の海の中で、細い茎が風に揺れる姿は 夏の妖精のようですわよ。 プラントハンターの発見 19世紀頃、 イギリスやフランスの熱心な植物学者や冒険家たちが、 「まだ見ぬ美しい植物」を求めて南米の未開の奥地へと命がけで旅をいたしました。 そこで彼らが出会ったのが、見渡す限りの緑の湿原の中で、 見たこともないような透き通るコバルトブルーの光を放って風に揺れる、 このボッグセージだったのです。 王立植物園キューガーデンへの寄贈 「この世のものとは思えない美しい青だわ!」と感動した彼らは、 大切に種や苗をパードンという特殊な輸送箱に詰めて、 何ヶ月もかけて荒波を越え、イギリスへと持ち帰りました。 そして、ロンドンの高貴な植物園や貴族たちのポタジェへと広がり、 「ただのセージとは一線を画す、空色の宝石」として、 ヨーロッパ中のガーデナーたちの憧れの的となったのですのよ。 ボッグセージに魅了されたのであれば、 ボッグセージをあしらった色々 をあなたにここから。

Summer Holiday of flower bulbs.

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球根の掘り上げるのを迷ってたけれど、そういうことをいちいちやりたかったので、スノーフレークの球根を掘り上げて、 秋まで涼しい影で寝てもらうことにした。 人間に世話されなくても、球根は自分たちで土の中の環境をちゃんと把握し、自分の咲ける季節、咲くときまでやり過ごす。ここで野菜を育てはじめて、園芸の本に書いてあることをえらく過保護というか、やっぱり人間は世話をすることで小さな自分の存在価値をつくりあげることを無意識にしたがるのだなと生き物だなと思った。種の蒔きどき、脇芽をとること、霜よけや株分け...ガーデニングという人間界から見た植物と、植物自身の営み.... 人類が滅びても、絶対に植物も動物も生存していける。でも、動物も植物も滅びてしまった後、人間は生存していけない。それは食物が滅びたということではなくって、何も世話できず、メンタルなことできっと自滅しそう。自然は、人間が壊さない限り、滅びることはないけれどね。 球根を掘り上げるなんていう作業、誰が思いついたんだろう。どんな環境に移し、育ててて何が起こってこんな作業を思いついたものか.... と、毎回、球根を掘り上げるたびに思っている。やっぱり変な作業だと思うから、これからはもう掘り上げない。 土を健康に保てるように、虫と天気、食物の廃棄するものについて勉強して掘りあげなくても球根がどんどん増える環境を守ろうと思う。

ナスタチウムの丸い葉っぱ ペルーの菜園を夢みて

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ナスタチウムは丸い愛らしい葉っぱを茂らせて、 ご自分の足元をけっして見せないのよ。 なんだか品格を感じるわね。 種を蒔いたら……実は、それが素敵なヒント。 種を蒔いたら土をしっかりと被せて、 生い茂ったナスタチウムの姿を見習うように、 光を遮って真っ暗にしてさしあげてね。 そうして、暗闇の中でずっと描いていた 輝く太陽を思わせるような、 鮮やかなお花を咲かせてくれるのよ。 遥かなるアンデスから、モネの庭へ と旅したナスタチウム。 この愛らしいナスタチウム (ノウゼンハレン ) の故郷は、 南米ペルー、標高3000メートルに及ぶ果てしないアンデス山脈の高地。 古くはインカ帝国の時代から、何千年も前から、 古代インカの人々はこれを「ただの美しい花」としてではなく、 体力をつける野菜や、傷を癒やすお薬(ハーブ)として 大切に野生から摘んで暮らしていました。   16世紀にスペインの探検家 コンキスタドールがジャングルでこの花を見つけ、 ヨーロッパへ持ち帰りました、その美しさは瞬く間に人々を虜にいたしましたの。 フランスの画家クロード・モネも、ジヴェルニーの庭の小道を このオレンジと黄色の絨毯で満たしたといいますのよ。  わたくしが初めて種から育てたナスタチウム、 発芽した姿には感動と愛でる想いを感じました。 わたしたしの菜園を彩り守ってくれているような ナスタチウムに愛をこめてデザインしたキャンバスバッグや マグカップ、Tシャツ etc をあなたにもどうぞ。

ヨーロッパの菜園を想い出す ミニトマト

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大昔に南米のアンデスから地中海へ 渡ってきたばかりのトマトは、そのあまりに鮮やかな 赤色から「毒がある怪しい果実」だと怖がられて、 長い間、ただの観賞用、庭の飾りにされていたのですって。 そんなトマトの運命を変えたのが、 まさにイタリアやフランスの「菜園のシェフ」たち。 「こんなに美しい実が、美味しくないはずがないわ」 そう信じた宮廷の料理人たちが、長い年月をかけて 何度も何度も、美味しくなるように、そして愛らしく 実るように、情熱を注いで育ててまいりましたの。 イタリアにトマトが伝わった当時、その美しさから イタリア語で Pomodoro  (ポモドーロ)" 黄金のりんご "と 名付けられましたの。 最初は黄色い小ぶりな実(今のミニトマトに近い姿ですわね) だったことから、そう呼ばれたそうよ。 最初は怖がられていたトマトですが、 ナポリの料理人たちが熱心に研究を重ね、 18世紀頃に「パスタのトマトソース」を大発明いたしました。 ここからトマトはイタリアのソウルフードとなり、 どんな小さなお家のポタジェ (菜園)でも、 自家製の美味しいソースを作るために必ず トマトが育てられるようになったのですって。 トマトをあなたの菜園でも育てたくなりまして? 初めて種から育てたトマトのTシャツやキャンバスバッグ etc をぜひ あなたにも。

Our potager garden.

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雌2頭で、雄ショコラの帰りを待つ。ショコラの生き様を想い、私達も " いま"を生きぬく毎日。" いま " を生きるなんて、自己葛藤とかしてる間がないぐらい、自分の 身の周りの全てを常に熟知していないといけない。人間がいまを生きることに劣っているのは、5感が他の動物に比べて劣っているからだろうね。 それが原因で第6感もうしなってしまったみたい。きっと他の動物みたいに5感が優れていたら、自己葛藤なんてしていないでやるかやられるか...やらないか... そんなことやらもっとファンタスティックな妄想を暴走させながら、ただ目の前のタスクに自分を追わせ、それにより次のタスクを増やしこなしてきた。生きていればショコラに会えるかもしれないから。それだけ。 諦めたり、逃げ出したりしたら、ショコラにとって私はきっと朽ちたも同然。もしここを離れるなんてことになったら...と思うと私は悲しくても辛くてもここにいる理由を作り出しておかなければいけない。 しんどいとか疲れたとかを感じる余裕がないように。さらにそのタスクが明日の糧にならないときっと私はここでの生活をショコラが帰って来ないかもしれないという雲のようにくる不安と闘いながら生きるなんて...どうだろう...逃げ出したくもなる。 だからそれはこういうこと。Neve Ending Story でいうと悲しみの沼にとらわれてはいけないということ。 ショコラ、できてきたよ。きっと 1 つ目のマイルストーンにたどり着いた。あなたの唯一のきょうだい Lady Chocolate を見よう見まねでここまで来れたよ。愛している。ありがとう。

My organic potager holiday.

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虫除けと、猫のトイレにならないように撒いているコーヒーの豆かす。朝食後の日課。バナナの皮と卵の殻を、コーヒーの豆かすを発酵させてから土に混ぜて来年からは堆肥として再利用したい。 じゃがいもの収穫を終えて、秋に収穫する野菜を植えるために土作り。すでにもう緊張している。堆肥のこと、土のこと、コンパニオンプランツについて...思い出しては勉強して、呪文のように唱えて覚えて... あとは実践。 今月下旬にも何か植えたかったけれど、色々調べて、8月は土を休ませ、蓄えるように耕すだけにしよう。そうすれば、暑い夏は、紫外線と虫から離れた室内で何か作品が できる。これが、ここで初めての my potager holiday. 

Harvest potato.

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じゃがいもの収穫時期と雨期がかさなりそう...? ドキドキ、毎日頭の中は人参とじゃがいもの収穫と雨降りのことばかり。  梅雨っていうほどの雨量でもなく...収穫時期はもう少し待ってねとじゃがいもの葉っぱたちは教えてくれていた。 今朝も早朝から空を360° 見渡して、ドキドキしながらじゃがいもを見ると... じゃがいもの苗から、待ちに待った収穫の Go サインが出ていた。 今日はガウンもすぐに脱いで、着替え、収穫の準備に取り掛かった。 バスケットと保管しておくのに使う新聞...そして記念撮影もしたいし、収穫時に傷をつけないように爪を短く短く切った。少しづつ焦る気持ちをころしながら、息を吹きかけるように土をはらった。 出てくるじゃがいもみんなにありがとうと言って、一人じゃがいも達にこの収穫までのことを話しかけずにはいられなくって... 全部聞いてもらった。 愛猫の Lady Chocolate と一緒に植えたんだっていうこと。本当は Hot Chocolat も一緒にじゃがいもを植えるはずだったんだっていうこと。植えるときに色々な替え歌を作って、じゃがいもが育ちますようにって植えたこと..その後、発芽するまで不安だったこと、水やりと雨の具合について悩んだこと... etc etc  数日前に覗き見、味見程度に収穫し食べたのがとっても美味しかったので嬉しくてじゃがいも農家になりたいかも ! なんて安易にも思ってしまった。 カメムシの仲間みたいな虫に葉っぱは収穫間近で丸いスタンプを押されたようなミステリーサークルができたけれど、じゃがいも達は、大なり小なり健康で綺麗だった。 楽しい。あのドキドキの日々と交換する価値がある。恋以上に。  

My Hydrangea.

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お店ではもっとソフトブルーだった私の紫陽花。ピンクでも、パープルでもない色の花が咲いた。鉄骨とスレートでできた大きな倉庫の私の無機質な店を、優しいブルーで...彼女はまるで7人のドワーフに囲まれた白雪姫か、子供達に話を聞かせる、ピータパンのウェンディみたいだった。

Harvest days.

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人参の種を蒔き、ドキドキしながら過ごして 100 日近く経った。収穫日数はあくまで目安なのかもしれないけれど、平均気温が他の場所より低かったりもしたからその目安の日数は待とうと思い、カウントダウンしていてやっとその日が近づいて来たのだけれど... あと数日待ちたいけれど、とうとうここにも雨降りの時が来た。 私は雨や曇りが好きだから嬉しいけれど、人参とじゃがいものためにはもう10日ほど晴れ続きでいてほしかったな。次の晴れ続きまで収穫を待つか、掘り起こしてしまうか... 迷いに迷い、とりあえずは様子をみてみることにした。 人参もじゃがいもも傷をつけたくないから爪を切ってそっと土をはらいのけた。 綺麗で美味しそうなのが見えたと思うと言葉では表現できない、胸の高鳴りがして落ち着いて引っこ抜くのが難しく思えた。 愛おしく思えた。私が地上でドキドキしている間、地中ではあの種からちゃんと夢を形にされていたような感じで。天と地の共同作業っていうのかな...そこに私が立ち会わせてもらえたことっていうのか....ちゃんとこの星で地に足をつけて生きているこの上ない実感。 この星の素晴らしさを実感したし、植物と天候の関係も素晴らしい... 人参はトマトよりも小さかったけれど、今までで食べたまっすぐの人参よりも格別に美味しくてびっくりした。私がみている太陽や、私が感じている風や、私が浴びた雨、私が経っているこの土、星や月、寒さや湿気...それらの全てと、あの小さな種が私を生かす。 何と表現すれば最適かわからないけれど、一口食べて...頷くことしかできないぐらい、何かを理解した。

Harvest my organic potato.

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気温が上がり始めたものの、朝と夜はまだ寒いのに、植物や野菜にとっては日中は成長しなと言われる温度にまでなる。毎朝起きるのがドキドキのこの数ヶ月に、さらにこの雨の季節は朝のドキドキがふえた。 雨が降ったりやんだりで、土の保水と排水が気にかかる。じゃがいもと人参、日数はもう収穫時期をむかえているけれど、植えたのも遅く、気温の上昇し始めたのもここ最近。 春めいたのも一足ゆっくりだったこの地だから迷う。人参の発芽もしないのではと思ったほどだった。 明日また雨だと思うともうこれ以上じゃがいもは地中には置いておけないだろうと少し、様子を見てみることにした。大きいの、一人暮らしの私にちょうどいいの、小さいの...色々だけど美味しそうなのが収穫できた。まずは、食べる分づつ収穫しよう。全て掘り起こしても保管しておくのにももったいないぐらいここは湿度が高い。できれば食べるぶんづつの収穫をしたいところ。 とにかく、初めてにしてはこの環境で、美味しそうなじゃがいもが収穫できた。大きくなってくれて有り難うっていう気持ちでいっぱいだった。 来年は...と一つ学ぶと来年が楽しみでしょうがない。 人参は少しづつ株ものとの土をはらっていき、人参の頭が見えたところで Yeah ! と叫んでしまった。人参については別の投稿で書こう。だって人参は人参で頑張ってくれたから。

Harvest my organic carrot.

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今日は初めて種から育てた人参を収穫した。 感動して、食べたあとは放心状態というのか解放されたというのか、目が覚めたような...真実を知ったかなのような気持ちだった。 土を耕し、種を撒く準備をして、気温と天気の様子をみながら、ドキドキして種を巻いた日がもう懐かしい。ドキドキしたのは私に育てられるのかなっていうドキドキ。そしてなぜか人参を育てることに関して、失敗を自分に許せないという覚悟を果たせるのかっていう。だから、種を撒いたら、水泳の選手のようにゴールを目指す自分を感じていた。 ゴールにたどり着くまで、息継ぎの瞬間にみる長い一瞬の風景。ゴールに着くまでその風景に関しては無視して泳ぎ続けないといけない。それは私の感情と闘う手段について書いたことと同じこと。やっぱりね、ゴールまで何をみても、何を感じても泳ぐこと、走ることをやめてはゴールにつかない。そのゴールに意味があるのなら、そう生くべき。 感情が生み出す風景がある。目に見えるものはただそれだけ。そこに自分の感情がその風景に色々なものを付け加えて、ゴールから目的地が揺らいでしまい、感情の中に目的地を作り出してしまう。一瞬で。 私は、ショコラと再開するまではどんな風景も偽物で偽りでまやかし。だから私は生き抜いて絶対にショコラとチョコが一緒に私の耕した畑で追いかけっこする風景まで、悲しみとう心の風景を風を切るように突っ切って生きたい。 人参の形は...ラディッシュのようだった。でも葉っぱも全部、まっすぐの人参より美味しかった。人生のリアルはこういうことだという味だった。