Harvest my organic carrot.

今日は初めて種から育てた人参を収穫した。

感動して、食べたあとは放心状態というのか解放されたというのか、目が覚めたような...真実を知ったかなのような気持ちだった。

土を耕し、種を撒く準備をして、気温と天気の様子をみながら、ドキドキして種を巻いた日がもう懐かしい。ドキドキしたのは私に育てられるのかなっていうドキドキ。そしてなぜか人参を育てることに関して、失敗を自分に許せないという覚悟を果たせるのかっていう。だから、種を撒いたら、水泳の選手のようにゴールを目指す自分を感じていた。

ゴールにたどり着くまで、息継ぎの瞬間にみる長い一瞬の風景。ゴールに着くまでその風景に関しては無視して泳ぎ続けないといけない。それは私の感情と闘う手段について書いたことと同じこと。やっぱりね、ゴールまで何をみても、何を感じても泳ぐこと、走ることをやめてはゴールにつかない。そのゴールに意味があるのなら、そう生くべき。

感情が生み出す風景がある。目に見えるものはただそれだけ。そこに自分の感情がその風景に色々なものを付け加えて、ゴールから目的地が揺らいでしまい、感情の中に目的地を作り出してしまう。一瞬で。

私は、ショコラと再開するまではどんな風景も偽物で偽りでまやかし。だから私は生き抜いて絶対にショコラとチョコが一緒に私の耕した畑で追いかけっこする風景まで、悲しみとう心の風景を風を切るように突っ切って生きたい。

人参の形は...ラディッシュのようだった。でも葉っぱも全部、まっすぐの人参より美味しかった。人生のリアルはこういうことだという味だった。

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