Happy new year at here.
一年を無事に過ごせた目安。
新しい年が来た証。
時計の文字盤は庭にある。
新年が来ると芽吹く植物。
結果がでて、次のステップをふむ時、
花は咲き、新しい枝先を芽吹き、
実が色付いたり、香りだしたり...
色々な方法で、次へのステップへ進むガイドをしてくれている。
日本で義務教育で過保護に育ち、
卒業すると迷える子羊のように将来を探す。
探してもない。
時の単位で、明日は次々とやってきて、観ていたはずの将来とかっていうものは、いつのまにか、さまよっている "今日 "となってあっという間に、過去になっていく。その過去をためてしまうと、悩むことになる。考えてばかりというのは妄想や空想とその時点では同じ。何もしない奴には無意味な単位。
今日何したかで明日の輪郭らしきもの、少し先の方向...種を蒔かぬものに明日はないと思う。
太陽が沈んでまた昇り新しい1日の始まりを迎えても、自分のなかに歩む意思がないと
明日とか将来って足枷になっていくだけ。
自分で育てていくものだと思う。明日や将来を。
私は高校2年の時に、夢をみつけ、若くにして夢に投資、時間と労力を費やした。
人一倍費やした。いくつかの花を咲かせ、実りもあった。
その実りからは別の種がでてきたけれど、周りが彷徨うなかで、私は夢中で何かをしていたことで自分が好きだった。
悩みがないから、嫌いな草をぬいたり、土を手入れしていると自分のものとは思えない、
過去を思い出すことがある。大変だったな〜、あの時は。よくあんなことやったな〜とか。
熟考はするけれど、悩まない。
ちゃんと、一年過ごせたことを、庭で確認した。今年も、はじまる。
この芽吹いた花が咲いたら。
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