Long time no see, Yumiko !
最近、この緑の少ない季節の中で思う。土色に囲まれて。
私は自分がこんなに土まみれになることを楽しく感じ、植物を愛おしく感じるようになるとは寝耳に水なことぐらい夢にも思わなかった。義務教育という洗脳期間を、洗脳された大人達に囲まれた中から脱出して実力主義と信じていたアメリカでとび出ても、打(撃)たれない杭になるつもりだった。都会で毎晩ニューヨーク五番街のナイトクラブに行き、ダンスでチップを稼ぎ食っていくつもりだった。
こんなに虫が多く、冬は凍結し断水してもこんな大自然の人のいないところで住むことを選択するとは。ステージでスポットライト浴びるのが好きなのに、ここでは何をやっても見る人はいない。ヘッドホンから漏れるほどに音量をMaxにして眠りについていた若い頃...私が星や月明かりを邪魔する街の灯りを毛嫌いして、山の静けさに耳を傾け獣の気配を感じようとするなんて.... 太陽を間近で見ることがないのと同じぐらい....unbelievable.
だた今言えることはひとつ。決して都会を訪れたいと思うことはもうない。行かなくてもよい言い訳を探すかもしれない。若い頃は、今の自分の生活のような世界を私は知らなかった。全く。
久しぶりに鏡を見ると眉毛の形が変わっていて、私に似た人に感じた。かつては飽きないのかっていうぐらい鏡で自分を見るのが楽しかった。自分の映る鏡やガラスがあれば絶対に見てニコってしていた。自己陶酔であったとおもう。
今は私がどんな顔をしていてもどうでもよくて、今何をしているかが問題になっている。
着飾っても、歩き方はチンパンジーが服を着て歩いているみたい、落ちぶれたOLみたいなプライベート...etc は自分を凹ませ、将来に不安をもたらせるに違いない。
毎月美容院に行って髪を綺麗にして、顔をメイクアップしても表情に生きているのか起きているのかわからない表情無でスマートフォンをマヌケ顔で見てばかり、話す内容が着飾った服とはチグハグだったりするぐらいなら、私はこのナチュラルを超えて野生的な自分で満足。
何も恥じることはない。むしろ誇りをもって私はかっこいいとおもう。
自分の野生を感じたことのない人間に、理性などあるわけがない。理性と思っているのはただ本当の自分を恥じているだけだとおもう。それは恥というよりも世間と、他人と違うことを恥じていいて、理性的に勘違いされているのは良心だとおもう。
そして私は久しぶりに、眉毛を整えた。うん、まあまあ可愛い。
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